この世が地獄ってことに気付いてるんだけどわかってないふりして生きていくしかないっぽいね

最近はずっと「人はいつか死ぬし、物事はいつか終わる」ってことばっかり考えてる。
10代の頃から割とずっとそういうことばっかり考えてたんだけど、最近になって特にね。

昨日久しぶりにフランケンウィニーを観たんだけど、スパーキーが死んだ後お母さんに「スパーキーはいつもあなたの心の中にいる」って言われてヴィクターが「心の中じゃ嫌だ。ここに居てほしい」って言うセリフがあって、それがすごく良かった。

僕は基本的に自分の中に自分用の思い出図書館があって、いつもそこに居て過去の思い出を愛でて生きているから誰かが去ってしまっても、なにかが終わってしまっても「それが楽しかった思い出はずっと誰にも邪魔されない場所に残ってるから良いや」って思ってる生きているんだけど、最近になって思い出よりも今が大切な人の方がたくさんいるんだってことに気付いた。

フランケンウィニーのヴィクターみたいに、思い出よりも今が大切っていう人はみんな一分一秒全部に一生懸命ですごく愛おしい。自分にはこういう過ごし方はできないなって思いながらずっと憧れてるし羨ましいって思ってる。

生きてたら100%確実に悲しいことって起こるんだ。生まれた瞬間、現世が始まった瞬間にそれはもう確定してるし、絶対に避けることはできない。もうわかりきってることだから別に僕が言わなくても良いことなんだけどね。

じゃあどうやってその確実に起こる悲しい事と戦っていくのかって話なんだけど、悲しみと戦う方法はいくつかある。
僕は「悲しいことは今ここにあるしどうにもできない。でもこれはいつか絶対に起こってしまうことだったんだ」って思うことで悲しみと戦っているよ。

消極的だと思う?多分みんなにそう思われると思う。
でもよく今までの人生振り返ってみてほしい。絶対悲しいことも楽しいこともあったでしょ。どの選択肢を選んでも楽しいことも悲しいこともあったと思うんだ。
これで僕は、さっきも言ったけど多分生まれた瞬間に「あなたの人生には○○回悲しいことがあって、○○回楽しいことがあるよ。頑張れ!」って神様とかそういう存在に決められちゃってるんだと気付いた。
多分、僕がアフリカの貧困民族に生まれてきたとしても、裕福な家庭で飼われてる猫に生まれてたとしても楽しいことや悲しいことは絶対に起こるんだ。

絶対に起こることだったら防いだりしても意味が無いというか。悲しいことは絶対に起こるし、それは避けれないことって思ったらそれも受け入れられるようにならない?
ならないか…えっとね。考え方を変えるといいと思う。悲しいことを悲しいって思っちゃう人って「悲しい」って感情に囚われすぎてると思うんだ。ずっと泣きながら悲しいって感情をずっと眺めてる状態。それだとずっと悲しいことが目の前にある状態になってしまって全然先に進めないと思う。
で、考え方を変えるってことはどういうことかというと、「悲しいことがあった」って考えるようにすると良いと思う。よくわかんないか。

あなたの人生を100mの道だと考えてみよう。
たとえば40mの地点で悲しいことがあったときに「悲しい!」って感情にとらわれてしまう人はその先の60mも「これは悲しみの道だ」って思ってしまう感じだと思う。
「悲しいことがあった」って考えると、「40m地点で悲しいことがあったけど、それから先はただの道だ」って考えることができる。その違い。
悲しみと共に生きるって感じじゃなくて、悲しみを観測するって感じ。

これから、僕もあなたも死ぬほどたくさん悲しいことが起こると思う。でも、上手に生きていこうな!どうせ死ぬんだし。

メメント・モリってこういうことだと思う。バイぜ!