世界でたった1人になっても生きていたいと思う?

やっほーギガデクだよ。
みんな、死を想ってる?

で、今日は「継続は孤独なり」って話。

僕のお父さんはもう60代後半なんだけど、僕が生まれたときからお父さんの趣味はコーヒー、ナイフ、自転車、キャンプだった。今もコーヒー、ナイフ、自転車、キャンプ。
毎月自転車雑誌を買ってて、いつのまにかVICTORINOXのコレクションが増えてて、喫茶店はずっとやってるし、毎週末自転車に乗ってどこか遠くに行ってる。
すごいよね、僕は尊敬してる。だって少なくとも29年以上はずっと同じ趣味だから。

小さい頃、週末の朝になると実家のお店の前にお父さんの友達が自転車で集まってきて、それからそのみんなで自転車で遠く(福岡から熊本とか大分とか)行って、夜になると帰ってきてた。ほとんど毎週末そんな感じだったな。
でも、今はお父さんは毎週末1人で自転車に乗ってどこか遠くに行ってる。何年か前のGWは自転車で福岡から出雲まで行ってたんだよ。本当にすごい。

これってどういうことかわかる?

時間が経つってこういうことなんだ。
お父さんも歳を取るし、友達も歳を取ってる。だんだん体力は無くなっていくし、子供や家族とかで趣味の時間が取れなくなったり、他の面白いことを見つけたりしていくんだ。
でも、それは間違ったことじゃない。
みんな人それぞれ大切なものがあるし、何を優先するかは人によって全然違うんだよ。何が正しいとか何が悪いとかはそこには存在しない。

だけど僕のお父さんは30年近く同じ趣味が大好きだし、それを選択している。周りの人がやめても、ずっと同じものを愛して、ずっとそれを優先している。
多分、週末一緒に自転車に乗る友達の中に一番仲良い人とかいたと思うんだ。そしてその人も多分もうやめちゃってる。それでも僕のお父さんは毎週末自転車に乗ってどこか遠くに行っている。毎週末1人で。

1回事故に遭って足を骨折して2ヶ月くらい入院したりしてたけど、それでもやめなかった。

僕は最近気付いてしまったんだけど、10年以上同じものを愛している人ってのはかなり少数派なんだ。そこまで多くない。
最初の方は同じ思いの仲間がたくさんいるかもしれない。でも、それは時間が経つにつれて死んじゃったり離れちゃったり少なくなっていくんだ。
これはどうしても仕方ない。人の気持ちや意思を操作することはあまり良くないことだし、人が少なくなっていくことは絶対起こる問題だと思う。
ずっと同じものを愛していると、どんどん仲間が少なくなっていって、いつかはたった1人になってしまう。

多分、それってすごく孤独なことなんだよね。
何かを共有したくても誰もいないし、誰も共感してくれる人はいない。
暖簾に腕押しというか、誰にも「見て!これってすごく楽しいんだよ!」って言うことができない。こんなに愛してることなのにね!
大好きなものを共有できないって実は死にたくなるほど寂しいことなんだよ。
そして、それでも続けるって死ぬほど忍耐力が必要になってくるんだ。
みんな小さい頃何かをやって親に「見てー!」ってやったことない?それを無視されたりしたらすごく悲しい気持ちになったでしょ?僕がここで言ってる孤独ってのはそれがずっと続くってことなんだ。永遠に。
ずっと何かを続けるって実はものすごく孤独なことなんだよ。
「継続は力なり」なんてクソみたいな言葉、絶対5年以上続けた事無い人が言ってるんだと思う。
どんなことでもずっとずっと続けてたらHPはどんどん減っていくし、誰かに回復してもらえることも無くなるんだよ。ずっと瀕死の状態でも続けなきゃいけない。

更に心無い人から「まだやってんの」なんて攻撃を受ける回数も続ければ続けるほど増えていくんだ。ある瞬間から敵でも味方でもなかった人が急に攻撃してくるようになる。
最初は視界にも入らなかった人たちみんなが馬鹿にしてくるかもしれないんだよ。

自分が世界でたった1人それを愛してる人になったとしても君は生きていける?

多分今SNSをやってる人ってみんな共有したいし、共感して欲しいって気持ちがすごく強いと思う。そして同じようなことを思ってる人たちで集まってコミュニティを作ったりして人生を楽しんでる。そして、違う思いを持ってる人を排除して同じようなことを言ってる人たちで固まってる。
それはすごく楽しいことなんだよ。わかる。

でも、義務教育ではそれが正しいことだと教わるし、そういう意識を植え付けられる。
討論とか話し合いとか多数決で自分と違う意思や趣味の人に勝つように教えられるんだ。
絶対にどっちかが悪でどっちかが正義だって大人に教えられる。正義も悪も存在してていいはずなのに。

僕は小さい頃から今もずっとそれに対して違和感を感じてた。
共感なんてしなくても良いと思う。世の中にはいろんな人種がいていろんな思想があっていろんなことが起こってる。それはきっと誰かにとってはすごく楽しいことだよ。
共感できなくてもそういうものも存在しているってことを受け入れても良いんじゃないかな。
多分僕は誰かに共感してほしくてこのブログを書いてるんだろうけどね。